昭和十九年六月二日の午後のこと。
一、二ヶ月位前から出没し始めた支那軍と、断続的に小競り合いは続いていたのだが、この日はいつもと違う。
国民政府の蒋介石主席が満を持して差し向けた、衛立煌大将を総司令官とする雲南遠征軍は、わが拉孟守備隊に対し、いよいよ牙を剥いたのである。
凄まじい砲爆撃が、一斉に開始された。
間断なく撃ち込まれる鋼鉄の巨弾が大地を揺るがし、小高い丘をなす拉孟陣地は、刻々とその山容を変えていく。
しかし、守備隊将兵が、金光少佐の指揮のもと実戦にも劣らぬ苦行を積んで作り上げた掩体陣地は、頑強であった。
守備隊将兵は、その中に身を隠し、息を殺して逆襲のチャンスを待つ。 だが、金光守備隊長は動かない。
いつ果てるともない砲撃を黙殺するかのごとく、じっと待ち続けている。
砲兵将校である金光少佐は、限られた火力しかない守備隊にとって、むやみに撃ち返すことは虎の子の砲の位置を敵に教える愚策、砲弾の無駄、と知っていたのである
六月三日朝、再び敵の砲撃が開始された。
あらゆる砲種の、いろいろなサイズの砲弾が、唸りをあげて落ちてくる。
爆風が土砂を、鉄片を、木片を巻き上げ、硝煙が舞い、昼間だというのに薄暗く、視界が利かない。
相変わらず、守備隊長金光少佐は動かない。
撃たれっ放し、やられっぱなし、である。
しかし、彼は動かない。
そして、金光少佐を信頼している全守備隊将兵も、命令を待って、じっと耐えている。
六月四日朝、またもや敵の砲撃が開始された。
ただ、この日は様子が違っていた。
あれほど猛り狂った砲撃が、ペースダウンしたのである。
敵観測機が陣地上空を低空で飛び、守備隊の陣形、兵の配置などを無線で報告しているようだ。
時間が経つにつれ、砲撃の確度が上がっていった。
これを見た金光少佐は、敵の歩兵部隊の侵入が近いことを予期し、全将兵に戦闘準備を命じ、待機させたのである。
予想は的中した。
雲南遠征軍の先鋒を務める、李士奇師長が率いる新編二十八師の歩兵一個団(一個聯隊)が、沈黙したまま反抗しない日本軍を侮ってか、北を12時に見て4時の方向にある上松林陣地に向け、喚声をあげ奔流のごとく押し寄せてきた。
金光少佐がじっと待ち続けていたのは、まさに、このときであった。
彼の命令一下、掩体に潜んでいた守備隊虎の子の砲が地上に顔を出し、一斉射撃を開始したのである。
じっと耐え忍んだ憤懣を、激情のままにぶつけるかのような、一発必中の猛射であった。
密集して押し寄せる敵兵は、次々になぎ倒され、大混乱に陥り、逃げ惑う。
砲撃をくぐり抜けて陣地内に迫った敵兵には、歩兵が小銃弾の連射を浴びせ、あるいは手榴弾を見舞い、撃破する。
それをも突破し肉薄して来た敵兵には、抜刀した、あるいは銃剣をふるった歩兵が次々と襲いかかった。
わが大日本帝国陸軍中にその名を知られた、九州福岡の「龍」兵団の精兵たちが、敵雲南遠征軍の前に全貌を現した瞬間である。
守備隊の熾烈な猛反撃に敵一個連隊は壊滅し、残兵は遁走していった。
そして敵が敗走したのを見届けるや、守備隊の砲はまた忽然と掩体に隠れた。
六月七日、三日前に手痛い敗北を喫した李士奇師長は、今度こそ、とばかり自ら新編二十八師の主力を率い、総力を結集し殺到してきた。
新たな目標は、北を12時に見て7時の方向にある本道陣地である。
しかし、守備隊の反撃はまたしても彼らを上回り、激闘数時間、ついに数倍する敵を粉砕し、敵司令官李士奇も戦死するに至った。
拉孟守備隊の壮絶な反抗の前に、精鋭新編二十八師7,000名の大軍は、殲滅されてしまったのである。
こうして、緒戦は守備隊の完勝となった。
同時にわれらが拉孟守備隊にとっては、援軍も補給も望めない、凄愴苛烈な消耗戦の始まり、でもあったのである。
六月十二日夜、転戦中の松井聯隊主力のうち、傷病兵300名が真鍋邦人大尉に率いられ、夜陰に乗じて敵の囲いを突破し、拉孟陣地に帰還、合流した。
名誉の負傷を負ってはいても、相変わらず意気軒昂な真鍋大尉の顔を見て、金光少佐もにっこり微笑み、二人はがっちりと握手した。
そして金光少佐は、連隊主力が出撃する前、真鍋大尉と交わした会話を思い出していた。
慰安婦のこと、である。
(ちなみに「従軍慰安婦」なる言葉は、戦後、日本および日本人、日本軍を貶めることを目的に、意図的に捏造された、悪意に満ちた言葉であることは、みなさんよくご存知の通り。)
・・・「隊長、大変失礼な言い方ではありますが、女たちは、隊長より、ここでは先輩であります。
もう、拉孟を第二の故郷と思っていますから、もし、どこかへ移そうとなさると、噛み付かれますよ。」
ユーモラスな口調で、真鍋は、婦女子の気持ちをいろいろ話してくれ、女たちは、ここで死ぬことさえ、ひそかに望んでいるのだともいった。
ある兵士が、何かのはずみに女の一人をつかまえて、おまえは道具じゃないかと罵った。
その女は柳眉を逆立て、その兵士が、いくら金を払うと言ってもそばへも寄せ付けなかったという話をきかせ、彼女たちは、すべてここの将兵の妻であり、ときには姉、妹、母であり、家族の気持ちになっているというのである・・・・。
聯隊主力の一員として出撃して以来転戦数ヶ月、負傷して帰還した真鍋大尉を迎え、その労をねぎらった金光であったが、つもる話のなかで、女たちのことが再び話題になった。
すると真鍋大尉は、
「過日も申し上げましたように、女たちはもうここの守備隊の家族と同様のものです。
それに帰れと言ってみましたが、逆に、あたしたちを殺す気ですかと、大変な剣幕で食って掛かるのです。」
たしかに、帰れないことはない。
しかし帰すにしろ女たちに十分な護衛をつけてやれない今、死の危険は、ここにいるよりもむしろ高い、ともいえる。
とはいえ、ここにいては今後、絶対に生は約束されないことに間違いはないのだ。
「隊長、無理に帰そうとすれば、女たちはかえって薄情だと怨むでしょう。守備隊の一員と考えているのですから。」
「女たちが、これから起こってくる戦闘の恐ろしさを知らない、その場になって、恐怖のあまり狂乱する者がいては・・・と、それを心配されているのではありませんか?
その心配ならご無用です。 あれでみな、しっかり者です。
非常の際、女の方がどうかすると男よりしっかりしていますから・・・・、それより隊長、実は申し上げておきたいことがあります。」
「何かね?。」
「このようなことを私から言うのは、茶坊主のようでいやですが、陣内のすべて、隊長どのの昔からの部下は言うまでもありませんが、百十三聯隊の連中まで、全部、1,280名、いま隊長どのが心配されていた20名の婦女子を加えて1,300名、隊長のためなら、いつでも欣んで笑って死ねる、という気持ちを持っております。」
それを聞いた金光は、はにかんだ笑いを浮かべ、照れくさそうに
「そんなことを言うものじゃないよ。」
と言い、しばらくたって、
「なあ真鍋君、私はまったくいたらない人間なんだよ。」
と、つぶやくように付け加えるのだった。(続く)
(参考文献)
楳本捨三「壮烈 拉孟守備隊」光人社
相良俊輔「菊と龍」光人社
名越二荒之助「昭和の戦争記念館 第五巻」展転社
他


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