皆様、新春の一日、いかがお過ごしでしょうか。
さて昨年末の本ブログでは、二回に分けて高野山奥の院を取上げましたが、今回
大和国奇譚
と題して、神宮(通称:伊勢神宮)の風景を私nobbyのつたない写真を中心に、ネット初詣?の心積もりで取上げたいと思っております。
(私が実際に参拝しましたのは、昨年の二月二十四日土曜日、快晴の一日でした)
残念ながら私には、神代から今に続く伊勢神宮の歴史を、詳細に解説して差し上げられるような知識はありません。
ここに掲げた写真も、九州の田舎からやってきた「御伊勢参りのおのぼりさん」の視点から撮ったものです。
新春の一日、お時間がおありでしたら、ネット初詣に、どうぞご一緒ください。
それでは、そろそろ出発いたしましょう。
JRおよび近鉄の伊勢市駅を降り、南西にぼちぼち歩いて10分弱行きますと、豊受大神宮(とようけだいじんぐう 外宮 げくう)の森が目前に現れます。
太古より、大和国におわします八百万(やおよろず)の神々に、そして大和国日本に住まうすべての民草に、衣食住の恵みをお与えくださる豊受大御神(とようけおおみかみ)が鎮座まします御神域です。

下に掲げた案内図(伊勢神宮HPより)でいえば、上の写真は案内図の画面左下のバス停あたりから、神宮方向を撮ったものです。
道路をわたると広場があります。
広場の一角に掲げられている御由緒書です。
その一節。
"御垣内(みかきうち)の御饌殿(みけでん)では、毎日朝夕の二度、天照大御神(あまてらすおおみかみ)に神饌(しんせん:お食事)をたてまつるお祭りがご鎮座以来、一日も絶えることなく行われています。"
たかがお食事の儀式、というなかれ。
なにげなく、”ご鎮座以来”などと書かれていますが、具体的にはご鎮座の年は雄略天皇二十二年ですから西暦478年にあたります。
(天照大御神の御鎮座は紀元前四年となっていますから、豊受大御神の御鎮座との間には、時間的に実に500年近い隔たりがあります)
今年西暦2008年は、豊受大御神の御鎮座から1,530年目の年、ということになるのですね。
1,530年の間、雨の日も風の日も、天変地異、災害、疫病、戦争などにより国情が麻のごとく乱れていても、毎日朝夕の二度、一日も絶えることなく続けられてきた儀式。
もちろん、今日のこの日も厳然と続けられており、そして将来も、日本国が存在し日本人がこの国に住まう限り、ずっと続けられるであろう儀式。
ここには、気が遠くなるような歴史、時間の重みがあります。
継続は力なり、という卑近な言葉を思い出しますが、まさに信仰の力がなしえたあまりにも偉大な、しかも現在進行中の奇跡だ、と私には思えるのです。

日本人の叡智がなさしめる、二十年に一度の大いなるお祭り、式年遷宮。
大和の民(日本民族)が太古より受け継いできた伝統・文化、そして世界に誇る手工芸技術・技能を次代に伝える第六十二回式年遷宮は、平成二十五(2013)年、日本中の善男善女の祈りとともに、執り行われます。

画面左奥に進みますと、外宮御正宮です。

外宮御正宮正面。
鳥居より内側では写真撮影は禁じられており、黒い制服を着た警備担当の男性がひとり、威儀を正して立っていました。(鳥居の、右の柱の横に立っている人物です)
画面中央にカメラ目線の男性が写っていますが、私ではありません。 念の為。

外宮御正宮正面(Wikipediaより)

御正宮を、向かって左奥から撮影しました。

御正宮の左隣には、ご覧の通り空き地があります。
平成五年、前回の式年遷宮の時までは、実はこちらに本殿が建てられ、豊受大御神をお祀りしていたのです。

カメラをさらに左に振りますと、
「平成二十五年第六十二回式年遷宮御敷地」
と書いた看板があります。
五年後の第六十二回式年遷宮のおりには、豊受大御神はこちらの御敷地(みしきち)に建て替えられた本殿に、遷座されるのです。

式年遷宮を簡明に解説した、神宮司庁による掲示板がありましたのでご披露します。

この建物そのものは、突き放した言い方をすれば、今年で築十五年でしかありません。
しかしその新しさの背後には、眼には見えずとも有史以前から連綿と受け継がれてきた日本人の叡智と祈りが、確かな生命力を持って息づいているのです。
わが大和国・日本の歴史の底知れぬ深遠が、ここにあります。

さあ、内宮(ないくう)行きのバスが来ますよ。
バスの中は、あったかいかな?
缶コーヒー、それともお茶、どっちがいいですか・・・?。

「内宮前」バス停で下車し(外宮から片道410円)、横断歩道を渡り宇治橋前まで歩きます。
もうすぐですね。


(伊勢神宮HPより)

五十鈴川に架かる宇治橋の正面です。
宇治橋は、俗世間と御神域との結界でもあるのです。
さあ、渡りましょうか。
おっとその前に、欄干の右に掲げられている御由緒書を読んでみましょう。

御由緒書に御鎮座垂仁天皇二十六年とありますが、西暦で言えば紀元前四年ということになります。
垂仁天皇の御父君崇神天皇の御代に、父帝の命をうけ皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が笠縫邑(かさぬいむら:いまでも真の所在地は不明)に天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りしたとされます。
(それまでは皇居の中に御鎮座になり、皇居内で祭祀が行われておりました。)
そして次の垂仁天皇の御代、垂仁天皇二十五(紀元前五)年になりますと、皇女倭姫命(やまとひめのみこと)に祭祀は託されました。
大御神の御鎮座にふさわしい場所を求めて倭姫命が各地を巡られ、翌垂仁天皇二十六(紀元前四)年に五十鈴川のほとりにお立ち寄りになられたとき、わたしはここに落ち着きたいと思います、との天照大御神の御神託が下ったことから、ここ伊勢に天照大御神をお祀りする祠(ほこら)が建立され、その祠がここ皇大神宮の起源となった、と考えられています。

五十鈴川の川原から宇治橋を撮った写真。
画面向こうが御神域です。(Wikipediaより)

それでは、行きましょう。右側通行ですね。


宇治橋の上から、五十鈴川上流(進行方向向かって右手)を眺めます。

神苑
宇治橋を渡り終えて右に曲がると、手入れの行き届いた、簡素にして美しい庭園があります。

手水舎(ちょうずや、壁紙サイト:高画質壁紙写真集様より)
御正殿に参拝する前に、ここで手を洗い口をすすぐことで、身を清めます。

さあ、第一鳥居をくぐりましょう。
そうすると、右側に美しい石畳が敷かれたお手洗場が見えてきましたね。
五十鈴川の清流に、手を浸してみましょうか。
やっぱり、冷た~い・・・!
お手洗場

お手洗場から上流を見ます。

お手洗場から下流を見ます。

少し高いアングルから上流を眺めます。

お手洗場を後にして、神宮の森を散策しましょう。
第二鳥居をくぐり、神楽殿や五丈殿、忌火屋殿の前を通り、しばし歩けば御正殿までもう少しです。

神宮の森の風景(壁紙サイト:高画質壁紙写真集様より)

神宮の森の風景(壁紙サイト:高画質壁紙写真集様より)

神宮の森の風景(壁紙サイト:高画質壁紙写真集様より)

御正殿
日本国の最高神であり、皇室の御祖神であり、かつまたすべての日本人の総氏神でもある天照大御神をお祀りする場所、御鎮座まします場所です。
御神体は三種の神器のひとつ、八咫鏡(やたのかがみ)。
かつて明治天皇がご覧になってから封印され、以後歴代天皇はもちろん、誰も見たものはいない、とされます。

御正殿
二礼、二拍手、一礼。
家族皆が健康でありますように・・・子供が志望校に合格できますように・・・お金が貯まりますように・・・とにかくいいことがいっぱいありますように・・・それから・・・etc

御正殿(壁紙サイト:高画質壁紙写真集様より)

御正殿(壁紙サイト:高画質壁紙写真集様より)

御正殿(壁紙サイト:高画質壁紙写真集様より)

御正殿

御正殿と次回式年遷宮御敷地との境

御正殿の左にある、次回平成二十五年第六十二回式年遷宮御敷地

塀越しに御正殿の屋根が見えます。

御敷地(古殿地)越しに見える御正殿。(Wikipediaより)

御正殿の左にある、次回平成二十五年第六十二回式年遷宮御敷地

平成二十五年第六十二回式年遷宮御敷地

平成二十五年第六十二回式年遷宮御敷地

幼木のころから無数の参詣者を迎え、見送ってきたであろう大木
(壁紙サイト:高画質壁紙写真集様より)

ここで、御守りやお札、その他縁起物をいただけます。
(壁紙サイト:高画質壁紙写真集様より)

神楽殿正面(壁紙サイト:高画質壁紙写真集様より)

神楽殿(Wikipediaより)

神苑前にて一休み。
鼓ヶ岳(355m)の稜線が見えます。

宇治橋上から五十鈴川下流方向を眺めます。
宇治橋を渡りきると、なつかしの俗世間?ですよ。

おつかれさまでした!
「おはらい町」「おかげ横丁」に寄って、おいしいものでも戴きましょうか。
ついでにおみやげも買って帰りましょう!。
今年がいい年になりますように・・・・・


by nobby
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